三津石智巳

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【感想】会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語

「予算」「マッキンゼー」で検索して管理職を悩ます「予算」は、あのマッキンゼー教授が始まり:日経ビジネス電子版から本書にたどり着いた。

商人がひとつの店で、自分の手金だけで商売するのであればくわしい帳簿などいらないかもしれません。

しかしイタリア商人とバンコは商売を成功させ、規模が大きくなったからこそ、「記録を付ける」必要性が生まれたのです。

p. 38

ここもスケーラビリティ。成功→スケールアウトの連続と考えて良い。

「必要なとき」にしか決算を行わないずぼらな商人たちへ、「毎年ちやんと決算したほうがいいよ」とルカ先生は諭します。それが友情を長持ちさせる秘訣であると。

p. 75

これが一年ごとの決算のルーツらしい。

収支計算から離れ、儲けの計算が「収益-費用=利益」という小難しい体系へ「進化」するキッカケは、鉄道会社による減価償却の採用だったように思います。

産業革命による固定資産の増加

減価償却の登場

利益計算の登場

産業革命以降の会計の歴史は、家計簿的な「収入・支出」計算から離れていく歴史といえます。

「収入・支出」から離れ、いかに業績を適切に表現する「収益・費用」の計算を行うかーーこれが企業会計の進化の歴史です。

pp. 166-167

この説明は感動した。はじめは誰もが思いつく家計簿的な「収入・支出」の進化系が「収益・費用」なのだという。これを「現金主義会計から発生会計主義への移行」というそうで、ワードは確かに聞いたことがあるような。でも腹落ちしていなかった。

収入・支出がfact(事実)であるなら、収益・費用で計算される利益は一種のfiction(架空)なのです。

p. 170

利益はフィクションなのか…

キャッシュフロー計算書を「会計基準の国際化に伴って新たに登場したもの」と理解している方が多いようです。それは間違いではありませんが、少々表面的な理解にすぎるかもしれません。歴史をみればわかるとおり、19世紀初めの鉄道会社からはじまったキャッシュから利益への「進化」が、200年ぶりにキャッシュへ「回帰」しているのです。

発生主義の名のもと、どんどん難しく、ややこしくしていった「利益」を久しぶりに家計簿的なものに戻そうとする会計の「原点回帰」がキャッシュ・フロー計算書だということです。

p. 265

これも歴史で学ぶからこそ分かりやすい。各年の配当のために考案された「利益」ではなく、M&Aの増加や国際会計基準の導入に伴って将来にわたって稼ぐ力を測りたくなった。よく、「お金にすることで何でも比較できる」みたいなことを言うことがあるが、数値の作り方が色々あるので数値にすればいいというものでもない。

「たくさんつくるほど製品原価が下がる」ーーこの「薄まり効果」に気付いた経営者はこぞって大量生産を行います。ライバルも同じことを考えるので供給過多が発生、それが販売価格の低下を招きはじめました。

p. 295

示唆的。内部記録である「原価計算」の論理に従って、固定費たる減価償却の配布金額を下げるために大量生産するのは内部論理としては完全に正しいが、より大きな環境の中では供給過多による販売が価格の低下につながった。一貫したストーリとしての経営戦略をもっていないと、ボトルネックが移動するだけという好例。

予算は会社の製造・販売部門を「効率」よく管理して儲けを出す仕組みです。「何台売れるか」の予測から「何台つくるべきか」を計画することで、無駄な在庫や売り損じを防ぐのです。

予算によって販売・生産部門の「調整」が可能になり、また、トップが現場を「統制」することができます。これは当時の経営者にとってたいへん魅力的な内容でした。

p. 324

ついにマッキンゼーの予算管理にたどり着いた!つまるところマッキンゼーの言う予算とは、戦略の数値化≒バランススコアカードの財務の視点のことだったんじゃないかなと今では思う。

それまでの原価計算が「工場」レベルの「コスト」を扱うのに対して、予算管理は「全社」レベルで「利益」を扱います。また予算管理は「過去の実績」だけでなく、「将来の計画」を扱います。

p. 324

ファシリテーションの文脈で、「ミーティング→タスク→プロジェクト→企業/事業」みたいな言い方をする。

マネジメントのテクノロジーの適用範囲が徐々に大きくなっている歴史ということなのだろう。しかし、アジャイルの流れはそういう意味では適用範囲が現場(タスク・チーム)レベルのような気がする。おそらく現場レベルでのマネジメントテクノロジが不足していたということなのではないか。

いずれにせよこうして歴史を見ていくと、本当の意味で原理原則が変わるのは数百年単位でしか起きない。「会計の世界史」の文脈で言えば

  • 「自分のため」の会計
  • 「他人のため」の会計
  • 再び「自分のため」の会計

のようなもの。

私の印象としては原理原則が、マネジメントテクノロジとして考案・落とし込まれて、実際に浸透・利用されるまでがやたらと長い。

製品別に利益を計算する場合に重要なのは、「製品別に売上を分けるのは簡単でも、コストを分けるのは難しい」ということです。

p. 336

な、なるほど…。そういう意味では、システムのコスト計算も難しいな。このJSONの1フィールドいくらみたいの出せないのかな。

1920年、デュポンは世界初となる「事業部制組織」を採用します。事業別のR(利益)とI(資産)を計算できるようになったことで、分権化を進めることができたわけです。

p. 348

事業部制組織はマイクロサービスだったのか。分ける(セグメント)ことで個別に評価ができる。その結果選択と集中ができる。さらにいえばその前段として分権化を進めることができる。

これは、つまるところ科学的思考とかQCサークルとかなんと呼んでも良いのですが、「分ける思考」ですね。ここで気になってくるのは「小論文を学ぶ」が言うような「二分法」ないし「分ける思考」の問題点です。だからこそ、経営者≒ジェネラリストの「センス」による総合するいつまでも必要ということなのでしょうが。「分ける」ことで効率化できることは多いし、短期的に「正解」であることも多いものの、結局のところ「事業部」も「利益」と同じでfictionなのであるという理解でよさそう。

本書も指摘しているように、以上のルーツを理解した上で現代的、コンテキストに沿った見直し(守破離)が必要とされている。

まずデュポンは外部の株主から資金を調達します。経営者はこれに対して効率よく利益を出す責任を負います。この効率はROEで測られます。

次に経営者は外部から預かった資金を各事業へ投資します。事業部長は預かった資金に対して利益を出す責任を負います。この効率はROIで測られます。

p. 354

技術投資も同様に考えられる。CTOは各事業部から預かった資金に対してプロダクトの開発およびプロダクション(生産)の責任を負う。

 

読了しました。いや、めちゃくちゃ面白かった。今年上半期読んだ本では間違いなくベスト。オススメです。