私達が脳で仕事をし、暮らしをしていることは疑いようがない。発達障害を学ぶことは、脳を理解する上で良い取っ掛かりになると考えている。端的に言って、大全を一冊読んだだけで何かが全て分かるものでもない。それでも、取っ掛かりが増えることは確かである。
スペクトラムという言葉の通り、つまるところ社会や職場や家庭がどこまでパーソナライズのコスト(法が定める「過重な負担」以下)を負担できるのかという問いであるように思う。
発達障害というのは発達に凸凹があるイメージですよね。いろいろな能力のなかに、ほかの能力と比べて、著しく高いものや低いものがある。それに対して知的障害は全体的に低いというイメージです。発達がゆっくりしていると考えるといいかもしれません。どこかの能力が欠けているのではなく、全体的にゆっくり成長する。
p. 100
発達障害と知的障害 「IQ70以上」が生きづらいのはなぜか? (3ページ目):日経ビジネス電子版
上記の記事の図を合わせて読むと分かりやすい。
発達障害と断言できるお子さんはむしろ少ないということです。そして現代のように発達障害に関する情報が簡単に手に入る状況では、親御さんによる“過剰診断”がどうしても多くなる。すると「発達障害ではありません」と断言してあげたほうがいい場合が、相対的に増えてくるわけです。
p. 155
測りすぎ | なぜパフォーマンス評価は失敗するのか? | みすず書房を思い出す。
感情が不安定になるのは、対人関係の問題でもないし、こだわりの問題でもないわけです。ASDの症状でもないし、ADHDの症状でもないんです。
(…)
そういう感情がでてくるのは、これまでの生活環境や体験に基づくもので、二次的なことです。
(…)
ASDの人も、感情の安定している人が相手だとわりとうまく付き合える。しかし、感情が不安定な人や威圧的に上から目線で言ってくる人とはうまくいきません。
(…)
だから、ASDの人とうまく付き合えるかどうかは、自分の「心の鏡」みたいな部分があるです。
pp. 230-231
ここ、難しいのだが重要なことを言っている気がする。すなわち、ASD/ADHDの症状とは脳の個性であるといえるのだが、感情が不安定になるのは症状とはいえないし、脳の個性とも言えない。誰にでもありすぎるということなのだと思う。