読んでみるかという気になった。
日本企業は、知識から利益を生み出してきた。
p. 12
戦略マップのインタンジブルズと野中郁次郎氏はどちらが先なんだろう。
本書では、「労働」とか「仕事」とか「ハタラキ」という言葉を区別して使う
p. 13
「人間の条件」っぽい。
「知識と利益」もしくは「知識と労働と利益」に関わる人材論や組織論とでも呼べるものは、これまで全くと言ってよいほど存在していなかった。
p. 16
戦略マップは1990年代には生まれていたようだが、さて。
系列企業の多くは世界でビジネスをしている。
p. 33
系列か。いい言葉だ。
デンソーは、売上の対トヨタ比率は半分以下である。残りはトヨタ以外の自動車会社からの売上である。トヨタ向けの製品開発で養ったノウハウを元にして、他社向けに製品を販売している。
p. 33
ほうほう。
トヨタグループはグループ全体として世界史上で儲けまくる仕組みを作っている。
p. 33
系列もグループなんだな。
品質には厳しい日本人消費者にとっても、十分許容範囲の品質の製品がつくられるようになった。
p. 34
製造業において、消費者偏差値の高い日本人に受け入れられる品質は日本にカスタマイズされる必要はない。サービス業において、消費者偏差値の高い日本人に受けいられる品質はまだ日本にカスタマイズされる必要があるように思う。
ソフトウェアやプロジェクトの品質の国際比較統計あるのだろうか?
OSもデータベースもアプリケーションも、業務ソフトも、検索エンジンもSNS も世界市場を獲得したのは、すべて米国の製品とサービスである。
p. 38
サービスはどうかと思うが、製品は確かに。
旧電電グループの企業は歴史的にNTTの要求仕様に応えるためだけに製品開発や技術開発を行ってきた。彼らの社内の大勢を占めるマインドでは、NTTの検品を通過しさえすれば、その後はどうでもよかったのである。結果的に日立・NEC・富士通・沖電気は、世界標準となるような製品を作り出すことができなかった。
p. 43
ファクトかどうかは全く分からないが、どこかで使えそうな怪しげなエピソードではある。
いくら彼らが優秀だなどと言っていても事業所や工場がなくなってしまっては解雇するより他に仕方がない。
p. 46
これは当然のファクト。
生産工程での努力は肝心の「売れるモノ」があった上での話である。
p. 48
確かに。
結果的に、売れる商品やサービスが生まれていなければ最初から誰も仕事(=利益を生むこと)をしていることにすらなっていないのである。
p. 54
戦略マップの話。ここでは、決算処理や給与計算のようなやらなくてはいけない定常業務の話はしていない。
現在は「何を作るか」といった質的な事柄が、企業活動では最も重要である。消費者のニーズにマッチした「何か」をつくることができれば、あとは安く高品質につくるだけである。そのための生産技術の管理方法も確立されている。一定の製造品質で安く作ると同時に「量」を確保するためのノウハウは、十分すぎるほど研究されてきたのである。
p. 57
ソフトウェア産業においては、微妙である。何をつくるかが重要なのは間違いないが、一方で生産技術も管理方法も確立されているとは言えない。
三河地方の人達の考え方では、売れないモノを作るに投入した全ての資源を浪費したことが、犯罪だと言っているのである。
p. 58
これもファクトかどうかは全く分からないが、どこかで使えそうな怪しげなエピソードではある。
生産工程は既にボトルネックではない。
p. 58
ソフトウェア産業においてこれは事実ではない。未だに産業全体が未成熟なのだと考えられる。
日本的品質管理を始めた石川馨教授は、米国的品質管理と異なり、日本的品質管理とは、「買手の要求に合った品質の品物又はサービスを経済的に作り出すための手段の体系」、もしくは、「もっとも経済的な、もっとも役に立つ、しかも買手が満足して買ってくれる品質の製品を開発し、設計し、生産し、サービスすることである」と言っている(『日本的品質管理』日科技連出版)。
孫引き御免。ISO/IEC 25000シリーズでいうところの利用時の品質を生み出すプロセスである日本的品質管理について1981年の文献で定義されている。読んだわけではないが、ISO/IEC 25001の品質管理部門とは全く違う話にも思われる。ぜひ原本を読んでみたい。
例えばトヨタ自動車では、第二次世界対戦後から1955年くらいまで、工場の製造現場における職人の加工技術がまだ重要だったと言われている。製造工程には、特定の職人の経験や勘、熟練に依存する工程も数多く残されていた。
1955年くらいから、いわゆる「工業化」が始まった。そうした職人の仕事は、作業方法の標準化がなされた後、機械化され自働化されていった。作業そのものが機械に代替されていった。もしくは、熟練が必要とされない誰もができる仕事に置き換わっていった。
p. 63
ファクトだとすると興味深い。製造業でも生産が最も重要であった時代がある。今のソフトウェア産業と似ている。
そして、1990年頃を境にして、量産工場からは重労働は消えたと言われている。
p. 63
製造業は、50年かけて生産技術と管理技術を確立させたと言える。ソフトウェア産業が生産技術と管理技術を確立させるのにも50年かかるだろうか。
ものつくりがグローバル化した現在は、商品開発・製品開発と製造と販売は、地理的に世界の別々の地域で行われている。このようなことが、比較的容易にできるようになったのは、ものつくりの世界における情報化のおかげであることは言うまでもない。
p. 64
ソフトウェアつくりの世界において、情報化は一体どれほど進んでいるのだろうか。さほど進んでいないのではないか。ここが仕様書の意義を再度考える突破口になるのではないか。
何かをコントロールしたかったら、コードをつけて、整理する。そしてリスト化し、台帳を作って、皆で共有する。コードは部門にも、業務にも、国にも、資本関係にも依存せず、いつもユニークである。そうしたことは常識であり、生産性の基本だと思うのだ。
ちなみに、情報化の一丁目一番地は「整理番号を振る」ことだと考える。これも仕様書の意義を考える突破口になりそうだ。
1980年代半ば、トヨタではSMS(Specifications Management System)と呼ばれた社内製の部品表データベースシステムと、同じく社内製のCAD(Computer Aided Design)システムの連携を進めていた。
pp. 64-65
Specifcationだと!?
SMSの部品表データベースとCADデータを紐づけると、データの扱いが便利になる。
pp. 65-66
確かに。 これは要求定義書と設計書の連携の話なのではないか。
製造がグローバル化する際には、こうした仕組みが役に立つ。日本で設計して、米国で製造するといったように、地理的に離れた場所にいても、容易に同じデータを見ながら仕事ができるからである。もちろん、デジタルデータは劣化しないという利点もある。
しばらくして、当時、東京大学工学部精密機械工学科教授だった木村文彦氏らは、こうした企業内の情報システムの進展を見て、「プロダクト・モデル」というコンセプトを提唱した。
p. 66
確かに。
「プロダクト・モデル」は、商品を作り出す上で、「必要かつ十分なすべての情報」を含んでいるものである。
例えば、機械系の部品であれば、形状、寸法公差、素材、加工法、といった具合になる。また、重要な点は、プロダクト・モデルには利益(原価)情報も入っていることである。つまり、「プロダクト・モデル」は利益(原価)の情報を含んだ設計情報である。
p. 67
ソフトウェア産業の文脈では1マイクロサービスと考えるのが良さそう。おそらくソフトウェア産業では、まだ産業が成熟していないために製造請負メーカーが製造するという方法はあまりうまくいかない。製造もまだまだ内製で成熟させる必要がある。
求められる質の製品を生み出すために必要かつ十分な情報セットが設計情報である。
p. 70
おそらくこの意味での設計情報はソフトウェア産業においては、PaaSにデプロイ済みのスケーラブル(コピー可能)なマイクロサービスもしくはSaaS(いつでも従量課金で利用可能)なのではないか。もはや設計という言葉のイメージとは程遠いな。ソフトウェア産業で言うところの開発と運用の区別に近い。
プロフェッショナルやスペシャリストは、その都度必要な時に確保すればいいが、優秀なタレントがいないと、新しい価値が生まれないので企業はそのうち立ちゆかなくなる。
p. 87
ふむ。楠木建氏の定義における経営者と担当者のようなものか。
グーグルの新規性は、世界レベルのエンジニアなど、目的的に人材を獲得し活用した点である。米国の会社には珍しく、労働者を資産と考えていたのが革新的だった。
p. 90
なるほど。
企業活動を情報視点で見るとは、ものつくりでもサービスでも、企業の活動を「設計情報の創造と転写」という視点で見ることである。つまり、
「企業が付加価値を生み出す」=「設計情報の創造と転写」
ということである。
p. 96
ソフトウェア産業における転写とはSREのことであるというのが私の現在の仮説だ。
創生されたコンセプト情報は、基本設計、詳細設計を経て情報が具体化、詳細化され、設計情報になる。
p. 98
やはり上記仮説は正しいんじゃないか。
グローバル化に失敗している「日本の電機・通信・IT業界の負け組企業」と「歴史的に官庁需要に応えてきただけの負け組企業」に決定的に欠けているのは、世界中の情報を体系的に収集するビジネスプロセス(=情報の流れ)にある。
p. 106
ユーザーインタビューだけでは足りないという話に読めるし、朝会の重要性にも読める。
新製品のコンセプトは、ある日突然頭の中でハタと思いついて作られるものではない。世界中から集められた膨大な情報をもとに、様々な制約条件を踏まえた上で、商品計画・製品企画を担当する人達がコンセプトを創造している。
p. 106
制約条件を踏まえることはやはり必要。
つまり、研究開発の目的は、将来利益になる「仕掛情報資産」を生み出すことである。
p. 107
ここは戦略マップよりかなり踏み込んでいて分かりやすい。戦略マップでは超長期のBSCは少し管理しづらいと感じている。
製品開発の中心となるタレントはXにいる。そしてじつはXの中の大体2%くらいのタレント人材が、組織の富を生み出す中心的な役割を果たしている。
p. 114
商品開発・製品開発を担う組織の2%くらいがタレント人材だという。
転写型の仕事と労働に関して言えることだが、生産性を上げたり、質を高めたりミスを減らしたりといった手法に関しては、「ものつくり」と「サービスビジネス」の世界ですでに開発され尽くしている。
p. 148
なるほど。
結局、定型労働の品質と生産性を高めて原価を徹底的に引き下げた分を、こうした創造的労働に投資して、質の高い設計情報や優れたノウハウをつくりだすことが、日本と日本企業の生きる道である。
p. 149
なるほど。
- 複数分野の知識あり、創造的知識労働、目的的・改革・改善・地頭・洞察・未知を既知に変える能力ータレント
- 知識あり・定型労働、既知の事柄を確実にこなすープロフェッショナル
- 知識あり・定型労働、特定分野の知識に詳しい専門家ースペシャリスト
- 知識なし・定型労働+改善能力(非定型労働)ー改善ワーカー
- 知識なし・定型労働ーワーカー
p. 151
なるほど。
面白い価値の探索は、「価値」と「実現手段」の双方を、ひとりの頭脳の中で理解できるタレントでなければ不可能である。
p. 203
なるほど。
主査制度は、期待される素質のある人材を見抜き、選抜し、育て、商品に関わることすべてに責任を持つ一人のタレントと、その商品の構成要素を担当する各専門分野のタレント・プロフェッショナル・スペシャリストを組み合わせて、優れた商品を作り出す仕組みのことである。
p. 214
面白い。
一気に読了してしまった。数年前に読んだときは全然面白いと思わなかったが、今回はめちゃ面白かった。
大局的には出口治明氏の言うように「世界経営計画のサブシステムを担う」「人・本・旅で一生学び続ける」ということに尽きる。
主査はリーダーシップ「思い」「統率力」「共感力」にプラスして複数の分野における圧倒的知識ということが目新しい、多分。いや、海外でダブルドクターが普通なことを考えると目新しくもないのか。
出口さんは「これも日本人の学歴が低いから。国際機関の幹部職員になる条件は最低限でも修士号を取得していることだ。博士号を持っている人もざらです。日本人は就職したくても応募できないのが実情です」と言う。
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APUがジョブズを育てるという話と一見矛盾するが、普通の人にできることはまず高学歴のエリートを育てるパスを用意することということだろう。
エリートを分かりやすく説明すると、要はカエサルやアウグストゥスのように、戦いの際には最前線に立つ人です。公のために身命を厭わない人です。
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僕が林則徐がエリートだと思うのは、自分は負けてリベンジできないけれど、ここに集めたものは、いつかきっと誰かの役に立つという高い気概を持ち、翻訳を依頼したことです。これがエリートの典型的な姿だと思います。林則徐の遺志は時間と空間を超えて、日本という国で花開いたわけです。人間は私利私欲で動く動物です。その中にまれに私利私欲ではなく、公のことを考えることのできる人がいます。それを僕は、エリートと呼んでいます。
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エリートとは公のことを考えられる人のこと。